第8弾:選手がみせた、その横顔

Inside the RICOH BlackRams

2010.10.09

 リコーブラックラムズ(リコーラグビー部)を支える選手たちの、ラガーマンとしての思いや、これまでのキャリアに関するエピソードをご紹介します。リコーというラグビーチームは、彼らの個性と歩んできた道程、積みあげてきた経験が混ざりあって、今の姿があります。

ラグビーと対峙すれば、自然と湧く闘志(後藤慶悟)

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 11年目を迎える後藤慶悟。今季はアシスタントパフォーマンスコーチ兼任という立場でシーズンインした。
「ジェフ(ジェフリー・ホワイトフィジカルパフォーマンスコーチ)のサポートが主な仕事。特に春先、チームがジムでトレーニングに多くの時間を割いていた時期、指導や補助をよく行っていましたね。選手としての自分の練習もあるので、ジェフと相談しながら、バランスをとってきました。初めてのことなので多少、戸惑いはあったかな」
コーチの仕事を通じての変化は?
「若い選手とコミュニケーションをとる機会ができましたね。なかでも、新人選手とは早い段階から接していたので、どういう性格で、どんなことを考えているのか。どんなことを感じているのかを知ることができました。チーム内の意思疎通を促す意味でも"兼任"を置くのはメリットだと思いました。若い頃、30歳を過ぎたベテランの選手には近寄りがたい雰囲気がありました。今の自分が若いメンバーにどう思われているかはわかりませんが(笑)、コーチの仕事を通じて多少は壁をとりはらえたかな、とは思います」
ラグビーを始めたのは高校1年。中学までは野球をやっていた。だが学校自体の生徒数も少なく部員数も限られていた。なかなか勝てず悔しかった。「もう負けるのは嫌だなって」。高校進学を機に、メンバーも多く、好成績を残していたラグビー部に入ることを決めた。ポジションは今と同じFLやNO.8のバックローを務めることが多かったという。
「タックルする機会が多いところが好きです。常にボールにからんでいられるのも楽しいし、相手にヒットし続けるポジションだけに、自らを奮い立たせ続ける強い気持ちは欠かせません。でも試合前、気持ちを高めるためにすることってあんまりないんですよね。音楽を聞いたりもしないし、ゲン担ぎもしません。スパイクを磨くぐらいかな」

ラグビーと対峙すれば、闘志は自然と湧いてくる――ということ。どんな苦境にあっても、目の前に現れた相手は100%の力で倒しにいく。経験と強いメンタルに支えられた後藤のプレーの安定感。そこには、リコーラグビー部が求め続ける"Attitude"がよく体現されている。

日本行きを決めた田沼広之との練習(ロッキー・ハビリ)

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 ロッキー・ハビリの父親は、息子をボクサーにしたかったのだという。「でも、友達と一緒にできるラグビーをやってみたかった。ボールに触ってみたらすぐ好きになった」。10歳のこと。
高校を卒業後、ニュージーランドでエンジニア兼プログラマーとして働きながら、ラグビーを続けた。「金属板を曲げてパイプにしたり、図形や絵を描く加工用機械をつくっていました。修理もしていた。直せるのが会社で僕ともう1人だけだったんだよ」。仕事とラグビーを両立させながらハビリは才能を開花。オークランド州の21歳以下代表に選ばれるなど、頭角を表していく。
「当時はWTBで出ることが多かった。1対1に勝って相手を抜き去るのは楽しかったですね。でも、PRもやったし、クラッシャーとして6番(FL)や12番(CTB)でも出ることもあった。NO.8をやるようになったのはその後。ディフェンスでもアタックでも大事な役割がある。最初は忙しいなと思ったけれど(笑)、今では一番好きなポジション」
そんなハビリにある出会いが訪れる。当時選手として遠征でニュージーランドにやってきた田沼広之(現・パフォーマンスコーディネーター)らと、共に練習する機会があったのだ。
「それまで、日本のラグビーについては全く知らなかった。でも、かなりハードな練習なのに、田沼さんたちは簡単そうにこなしていた。練習が終わって話してみると、『日本のラグビーはもっと速いんだ』って。驚きましたよ。ほかにも、日本の治安の良さや礼儀正しさも教えてくれました」
その後、フランスのチームからのオファーを受けながらも、田沼らを通じて知った日本に惹かれたハビリは来日を決意。2008年、サントリーサンゴリアスに加入。翌年、リコーラグビー部に移籍することになる。
「田沼さんがリコーにいるのは知っていました。日本に来て最初に調べたのは、あのとき一緒にプレーした選手がどこのチームにいるかだ。大声を挙げながら突進する田沼さんと一緒にラグビーができることになったときは、うれしかった」
2009-10のシーズンをハビリは田沼と共にプレーした。
「真剣な面も、コメディアンのような面もある。怒りを内側に溜め込まず、ハッピーであろうとするところは、選手としても人としても見本だった」
根っからの明るさでチームを盛り上げ、和をもたらしつつも、ラグビーに対する厳しさでは誰にも負けない――ハビリの真摯な姿勢には、先輩・田沼の存在が大きく影響しているのだろう。

「引退すると聞いたときはつらくて、『やめないでほしい。もっとプレーしよう』って、何度も言ったよ」
ロッキー・ハビリにとって、09年は自分に日本のラグビーを伝え、人生を変えた人物とプレーした忘れられない1年だったのである。

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